定性的、定量的
定性的な論理よりも定量的な論理であることが重要だとよく言う。
確かに定性的な論理は口が上手ければ
いくらでも他人の指摘を論破できるから、
その場では正論にできる可能性が高い。
ただ、それは「その人にとっての」正論であるだけで
結局独りよがりな論理になる可能性もかなり高い。
自分が定性的な論理になりがちなので気をつけよ。
ところで、定量的とは物事の様子や変化を数字を使って
分析することではあるものの、
会社員の中ではそれが必ずしも「客観的な観点」として
用いられているかは疑問だ。
前職では定性的な論理に都合のいい数字を加えて
「あたかも」定量的かのように語る人が多数いた。
※定量的である以前に、定性的な論理で自分の意見押し通す人もいたし、
単に大きい声で押し通す人もいた。いろんな人がいるものですね。
結局、自分の意見を押し通すための論理を超えておらず、
なんのための論理なのか、何のために話し合うのかという
前提をはっきりさせないと
何の意味もないよくある会議になってしまう・・・。
はいポエムしすぎたので終了します。
評論家はダメ。ゼッタイ。